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2004年 10月 13日
時代は変わる(The Times They Are A-Changin')
※この記事は、クリエイティブ・コモンズのルールに基づいて、The Original Macintoshの記事を翻訳したものです。翻訳された本記事も、自由に複製、頒布、展示、実演することができます。ただし、原著作者を明示することが必要で、営利目的の利用はできません。詳しくはhttp://creativecommons.org/。
この記事の原著作者はAndy Hertzfeld氏。オリジナルはhttp://folklore.org/にあります。


1984年1月24日。ついにこの日がやってきた。1984年のアップルの株主総会でマッキントッシュがそのベールを脱ぐという、今まで経験したことがないほど待ち望んだ日がやってきたのだ。もちろん私たちは感激していたが、同時に急造のデモソフトに不安を抱えていたし、システムを完成させることで疲れきってもいた。
週末行われたリハーサルで、デモのセットアップを手伝うために出席したが、それは問題だらけだった。アップルはLightValveという強力なビデオプロジェクターを用意していた。それはマックの画面を想像以上に大きく、明るく映し出してくれるものだった。マックの独特なビデオ信号のタイミングを補正する特殊なボードをバレルが作り、このボードにLightValveは接続されていたのだが、LightValveはまったく気まぐれで、起動に永遠とも思える時間がかかったり、不可解なことに突然落ちてしまうこともあった。その上、スティーブはこのリハーサルにまったく顔を出さず、一度も通してのリハーサルができなかったのだ。
ソフトウェアチームは午前10時にならないと出社しないのが常だったが、この日だけはバンドレー3号館の金魚鉢のようなオフィスに7時半には全員が集まっていた。そこから半マイルほど離れたフリント・センターの講堂までみんなで歩いていった。講堂にはだいぶ早くついたのだが、すでに満席で(2500席ある)、すぐに寿司づめ状態となり、立ち見の人で満杯になってしまった。ソフトウェアチームは、マック部門のスタッフ用に用意された2列目に固まって座った。
そして、照明が落とされ、スティーブ・ジョブズがステージの左側から現れ、演台に歩み寄った。派手な蝶ネクタイにぴったりとあった上質の仕立ての黒いスーツ姿で、コンピューター企業の取締役というよりは、ラスベガスの興行主のような格好だった。わき起こる拍手を神経質そうに制して、それから口を開いた。
「1984年、アップル株主総会にようこそ。ディランの昔の詩の一部を朗読させていただきます。ボブ・ディランの詩です」。スティーブはにっこりと笑って、ボブ・ディランの「時代は変わる」の2番を母音をときどき伸ばすディランスタイルで暗唱し始めた。
「ペンで予言をする作家と批評家のみなさん
目を大きく見開いて
機会は二度と巡ってこないかもしれないから
口は閉じておいて
車輪はまだ回り続けているかもしれないから
その名前はまだいわないで
敗北の最中にあっても、いつか勝利するかもしれないから
時代は変わるのだから」
そして、アップルの役員ひとりひとりの名前を挙げて、つらい時期を支えてくれたことに感謝の意を示し、主席顧問アル・アイゼンシュタットの方を向き、株主総会の進行を促した。アルはいくつかの式次第を進行させ、そして9ヶ月前に就任したばかりのCEOジョン・スカリーを紹介し、決算報告を求めた。
ジョンは、アップルの直近四半期の報告を行った。Lisaの売り上げは予想を下回ったが、Apple IIeのクリスマス時期の売り上げが昨年同時期の2倍になって、全体としてはバランスが取れたものになったと報告した。しかし、聴衆は退屈そうに聞いていて、目の前に迫ったメインイベントが待ちきれない様子だった。ジョンもその空気を察したようで、報告の大半を手短にすませた。そして、マイク・マークラに感謝の意を示し、アップルの最初の数ヶ月を支えてくれた役員に感謝の意を示し、そして特にある人物に感謝の言葉を述べた。
「アップルでのこの9ヶ月の間に、私の身に起こったもっとも重要なことは、スティーブ・ジョブズとの親交を深めることができたことです。スティーブはアップルの共同創立者であり、この業界の予言者でもあります。スティーブ・ジョブズをみなさんにご紹介できることは私にとっても光栄です」。
スティーブがステージの左側から再び現れると、また照明が落とされた。「1958年…」スティーブはゆっくりとおごそかに口を開いた。「IBMは、セログラフィーという新しいテクノロジーを発明した若い会社を買収するチャンスを逃しました。2年後、ゼロックスが誕生し、それ以来IBMはかやの外だったのです」。スティーブがここで言葉を切ると、聴衆の中から笑い声が起きた。
この話は、昨年秋のハワイで行われたセールス会議で、1984のCMを紹介するときに使ったものだ。それ以降も、何度かこの話をするスティーブを見たが、このときほど感情が込められていて、熱が入り、声に力がこもっていたことはない。
「その10年後の60年代後半…」。少し早口になって続けた。「デジタル・イクイップメントなどがミニ・コンピューターを発明しました。IBMは、本格的な計算業務には小さすぎるので、自分たちのビジネスにとって重要なものではないとみくびってしまいました。DECは、IBMがミニコン市場に参入するころには、数億ドル規模の企業に成長していたのです」。スティーブは再び言葉を切った。
「その10年後の70年代後半…。1977年、西海岸の若い企業アップル・コンピューターが初のパーソナルコンピューターApple IIを発表しました。IBMは、本格的な計算業務には小さすぎるので、自分たちのビジネスにとって重要なものではないとみくびってしまいました」。スティーブが皮肉たっぷりに語ると、聴衆は喝采した。
「1980年代始め。1981年、Apple IIは世界で最も売れたコンピューターとなり、アップルは3億ドル企業となりました。これほどの急成長は、アメリカのビジネス史上かつてありません。50以上もの企業がひしめくこのパソコン市場に、1981年11月、IBMはIBM PCで参入してきました」。話し方に勢いがついて、たいへん早口になった。
「1983年。IBMとアップルは、パソコンをそれぞれ10億ドル売り上げる二強となりました。しかし、その反動は小さなものではありません。最初のパソコンメーカーが破産をし、他の企業も風前の灯となったのです。1983年にこの業界が失った利益は、アップルとIBMの利益とほぼ同じだったのです」。
話すスピードを緩め、声に力をこめていった。「今は1984年です。IBMはすべてを根こそぎもっていこうとしています。そして、そのお金をもって一目散に逃げてしまうのではないかと私たちは疑い始めたのです。当初はもろ手を挙げてIBMを歓迎していた販売店も、今では将来をIBMに支配され管理されることを恐れ、自由を確保する唯一の手としてアップルに戻り始めているのです」。
スティーブがここで長い間をおくと、聴衆は満面の笑みとなった。聴衆に膝を乗り出させることに成功したのだ。「すべてを手に入れたがっているIBMは、最後の障害に銃の狙いをつけました。アップルです。ビッグ・ブルーがコンピューター産業のすべてを支配してしまうのでしょうか。情報時代を支配するのでしょうか。ジョージ・オーエルは正しかったのでしょうか」。
2日前のスーパーボールで、最初で最後の1984のCMを見ていた聴衆は熱狂した。若く美しい女性アスリートが、近未来的なスキンヘッドたちの集会に乗り込み、世紀末的な光に彩られたスクリーン上のビッグブラザーにハンマーを投げつけるというものだ。CMの放映が終わったスタジアムでは、全員が立ち上がって喝采した。
スティーブは、マックをApple II、IBM PCに続く3番目の重要な製品だといった。「私たちの中には、もう2年以上マックで仕事をしている人がいますが、とてつもなく素晴らしい製品だということがわかったというのです」。
話が続く間、マックはステージ中央近くに、キャンバス地のキャリングケースに入れられたまま置かれていた。スティーブはバッグに歩み寄り、開け、初めてマックを外の世界に出した。持ち上げ、プラグを差し込み、フロッピーを入れ、デモをスタートさせた。マックは内気な声で自分自身を紹介する最初のコンピューターとなった。
「ハロー。私はマッキントッシュです。バッグの外に出してくれてありがとう。
人前で話すことには慣れていないので、初めてIBMのメインフレームに出会ったときにできた格言を紹介させてくださいーー自分で持ち上げられないようなコンピューターは信用するな!です。
私はしゃべることができますが、そろそろ私も座って聞く側に回りたいと思います。私にとっては父にも等しい彼を紹介できるのは、この上なく光栄です。ーースティーブ・ジョブズ!」。
デモが終わると、会場は熱狂に包まれた。スティーブは今まで見たことのない最高の笑顔になり、感極まって彼は明らかに涙をこらえていた。スティーブが聴衆を鎮めるまで、喝采は少なくとも5分以上は続いた。
その後、スティーブはマーケティング素材やLisaの新型を駆け足で紹介したが、ほとんど記憶が薄れてしまっている。そして、マック開発チームをたたえたビデオを上映し、そこには何人かの重要な協力者からのメッセージも寄せられていた。そして、司会をアル・アイゼンシュタットに戻し、株式決算を報告させ、株主総会の議事進行に戻した。
出席者は全員に、スティーブが表紙になったMacWorld誌創刊号がプレゼントされ、帰宅の途についた。マック開発チームはほとんどがステージのあたりに残って、聴衆がいなくなるまで互いに喜びを分かち合っていた。
その後、しばらくして、バンドレー3号館に戻ってみると、驚いたことにビル裏手の駐車場に大きなアップルのトラックが止まっていた。中には新品のマックが100台積まれていて、それぞれの名前がプレートに刻まれていた。スティーブは一人一人に握手をしながらマックを手渡しし、私たちの中でにこにこしていた。
午後には通常業務に戻されたのにはびっくりしたが、だれも家には帰りたくない気分だった。マックはもうその日には販売開始になっていたのだ。出かけてマックを自分で買った方が実感がわくと思って、私たちは5、6人で連れ立って近くの販売店に歩いていき、ほんとうに買えるかどうか確かめにいった。いちばん近い販売店では、在庫がまだ入ってなく売れないと断れてしまった。あきらめずに次の販売店に行ってみると、そこも在庫はまだ入ってなかったが、私に1台売りつけようとしたのだ。

by tmakino. | 2004-10-13 19:33 | Macintosh


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