|
2004年 10月 02日
※この記事は、クリエイティブ・コモンズのルールに基づいて、The Original Macintoshの記事を翻訳したものです。翻訳された本記事も、自由に複製、頒布、展示、実演することができます。ただし、原著作者を明示することが必要で、営利目的の利用はできません。詳しくはhttp://creativecommons.org/。 この記事の原著作者はAndy Hertzfeld氏。オリジナルはhttp://folklore.org/にあります。 1981年2月25日の水曜日、社屋の中に一歩足を踏み入れたときからなにか嫌な予感がしていた。ありふれたオフィスの騒音はなく、静かに悲しみだけが漂っていたのだ。みんな席から離れて、あちこちで寄り集まっていた。仕事部屋が近いダン・デンマンのところに走っていき、なにが起こったのか尋ねてみた。 「聞いてないのか?スコッティがアップルIIの半分近い技術者を今朝解雇したんだ。9時頃から一人ずつ呼び出して、解雇を通告してるんだ。もう30人以上が解雇されたようだ。理由はだれにもわからないし、次にだれが呼び出されるかもわからない。昼頃会議があって、そこで説明があるらしい」。 「クビになったのはだれとだれなんだ?」ダンに尋ねた。 「驚いたことに、4人のマネージャーのうち3人がクビになった。だから、もう上司はいないのさ。それに信じられないと思うが、リック・オーリッチオも解雇された」。 個人的には、ほとんどのマネージャーが無能だと思っていたので驚きはなかったが、リック・オーリッチオが解雇されたのはつらかった。リックはアップルIIチームの中でももっとも優秀なプログラマーだったからだ。一日二日で一週間分の仕事をしあげてしまい、残りの時間は最新のゲームなど自分の好きなことをしてすごすというやつだった。彼の仕事ぶりが問題になることは理解できるが、だからといって解雇理由になるものではない。彼はDOS 4.0開発では私のパートナーだ。この開発は始まったばかりで、私以外のプログラマーは仕事にかかっているので、この解雇はずいぶんと困ったことになる。 私も抜け殻のようになったみんなといっしょに、この事態の理由を説明するスコッティの言葉をぼうぜんと聞いていた。彼の説明はこうだった。アップルは昨年あまりにも急成長してしまい、誤った管理職を雇ってしまった。その人物がさらに無能な社員を次々と雇うという事態になった。そのため、アップルIIの開発チームはだれきってしまい、アップルの成功の礎である初期の情熱が失われている。だから刺激を与え、誤った雇用を正し、正しい方向に再び成長していきたいというのである。 スコッティは少し震え、自分でも確信がもてないように見えた。他の上級役員も横に並んでいたが、積極的に発言はしなかった。ウォズニアックもそこにいたが、とてもにこやかな表情とはいえなかった。会議の終わりの質疑応答で、二人の社員が事態の収拾の手際のまずさについてスコッティに質問をしたが、ほとんどの社員はどうしていいかわからず呆然としているだけだった。数日後には、だれもがこのできごとを「暗黒の水曜日」と呼び出した。 その日遅くなって、ディック・ヒューストンとこのことについて話し合った。ディックはディスク・コントローラー・カードのブートROMを書いた古株のプログラマーで、アップルの社内政治にも明るく、スコッティの友人でもあった。彼はこの追放劇が行われることを事前に知っていて、先週数回にわたってスコッティと会い、解雇予定者リストの作成まで手伝ったのだという。スコッティは、マイク・ママークラと役員会の承認を求めていたが、その承認はまだ降りず、それでも解雇を強行したのだとも教えてくれた。 アップルが昨年マネージャーなど無能な人間を雇ってしまったことは確かだが、スターリンまがいの追放は会社を運営していく上で妥当な方法だとは思えないと私はディックにいった。そして、リックの解雇について不満をいい、このことで私の気持ちがアップルから離れてしまったともいった。私は自分のしたことが正しいと信じるタイプのプログラマーであり、もうアップルに情熱をもてなくなってしまったのだ。 翌朝出社してみると、「面会したい」というマイク・スコットの秘書からのメモがデスクの上に置かれていた。ディックがスコッティに昨日の話を伝えてくれたのだろう。秘書に連絡を取り、1時間後にスコットの部屋を尋ねた。スコットはこの件で忙しく、私たちの会話は電話で何度も中断された。スコットは、この件で私が辞職するのではないかと考えており、職に留まってほしいといった。アップルの中でもう一度夢中になれる仕事はなにかと尋ねてきた。私は、バレルとバッドと共にマッキントッシュの開発をしたいという希望を告げた。 午後遅くなって、スコットの秘書が電話してきて、スティーブ・ジョブズとのアポを取り付けたと告げてきた。そのときは知らなかったが、スティーブはマッキントッシュプロジェクトを1月前から率いていた。スティーブは、このプロジェクトを立ち上げたジェフ・ラスキンを先日このプロジェクトから外した。ジェフがスティーブのリーダーシップに文句をいって去った後、その空き席にスティーブが座っている形だった。 アップルの人間はみなスティーブ・ジョブズを恐れていた。唐突に怒りを爆発させることや、思っていることを率直に相手にぶつけてしまうのが疎まれていたのだ。でも、私と数度会ったときは、ときどき見下すような態度をすることもあったが、おおむね好意的だった。マッキントッシュの仕事をすることについて、夢中になって話をしてしまった。 部屋に入って最初に聞かれたことはこうだった。「君はほんとうに仕事ができるのか?我々は有能な人間にマッキントッシュの仕事をしてもらいたいと思っている。君がほんとうに仕事ができるのかまだ確信できていない」。私はできると答え、能力もあるといった。バレルとは友達であり、彼のソフトウェア開発の仕事を何度か手伝ったことがあると説明した。 スティーブはいう。「君はクリエイティブなやつだと聞いている。ほんとうにそうなのか?」。 自分で判断することはできないが、マッキントッシュの仕事をしたいと願っており、いい仕事ができるはずだと答えた。スティーブは、この件については後で連絡するといった。 数時間経った午後4時半頃、私はアップルII用のDOS 4.0の仕事に戻っていた。インタラプト・ハンドラーやディスパッチャーなどのシステム用の基礎となるコードを書いていると、突然、スティーブ・ジョブズが私の仕事部屋の壁にもたれかかっていることに気がついた。 「いいニュースをもってきた」と彼はいう。「今からマッキントッシュチームで働いてもらう。ついてきてくれ。君の新しいデスクを教えてあげよう」。 「それは素晴らしい」私は答えた。「今かかっている仕事はあと一日二日で終わるので、月曜日からならマッキントッシュチームに合流できます」。 「なんの仕事をしてるんだって?マッキントッシュより大切な仕事があるっていうのか?」。 「アップルII用の新しいOS、DOS 4.0を書いています。だれかに引き継ぎができるところまでは仕上げてしまいたいのです」。 「そんなのは時間の無駄だ。だれがアップルIIなんか気にするものか。アップルIIはあと数年でゴミ箱行きだ。君のOSは完成する前に無意味な代物になってしまう。マッキントッシュはアップルの未来だ。今すぐこちらの仕事を始めるんだ」。 そういうと、スティーブは私のデスクに近寄ってきて、アップルIIの電源コードを見つけると、それを勢いよくソケットから引き抜いた。おかげで、マシンの電源は切れ、今までやった仕事はすべて消えてしまった。モニターのケーブルも抜き、マシンの上に重ねて抱えると、さっさと歩きはじめる。「ついてきてくれ。君の新しいデスクを教えてあげよう」。 外に出るとスティーブの銀色のベンツが止まっていて、私のコンピューターはトランクの中に収められた。そして、スティーブンス・クリークとサラトガ・サニーベールの交差点までの数ブロックを車で移動した。そこにはテキサコ・ステーションの隣にぱっとしない茶色の2階建ての建物があり、そこでスティーブがマッキントッシュの伝説を紡ぎあげていたのだ。 私たちは2階に上がり、鍵のかかっていないドアを開けた。スティーブは建物の裏側にあたる場所にあるデスクに私のコンピューターを置き、こういった。「ここが君のデスクだ。ようこそ、マッキントッシュチームへ!」。 仕事場を見回してみると、バレル・スミスとブライアン・ハワードが隣の部屋で、プロタイプのボードに接続したロジック・アナライザーのところにいた。彼らにことの顛末を話すと、二人はスティーブが私の能力について尋ねてきたと教えてくれた。二人は私が加わったことを喜んでくれた。 二人がしていたディスク診断ルーチンのデバッグ作業を少し手伝ってから、自分の新しいデスクに行き、引き出しを開けてみた。驚いたことに、中はだれかの備品でぎっしりだったのだ。いちばん下の引き出しなど、さまざまな模型飛行機やカメラの備品がつまっていた。後で知ったのだが、そこは元ジェフ・ラスキンのデスクで、彼は私物を整理する暇もなく去っていったのだった。 by tmakino. | 2004-10-02 14:45 | Macintosh
|
アバウト
フリーライターの戯れ言
by tmakino. メモ帳
カテゴリ
以前の記事
ライフログ
最新のコメント
最新のトラックバック
お気に入りブログ
おすすめキーワード(PR)
ファン
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||